『アンクル・チャーリーと愛犬テディ Uncle Charlie & His Dog Teddy』1970年名カントリーロックバンド ニッティー・グリッティー・ダート・バンドの代表作 《MIZZマスター》 山下達郎さんはこのレコードをいたく気に入っておられていたようで,発売時には友…
MIZZマスターの妄想『喜楽』の前で談笑する大瀧詠一さんと山下達郎さん お二人にはこんなゆる~い時間もあったのかもしれませんネ 後々まで語り継がれることになるスーパースター二人の邂逅は1973年のことです。 二人の音楽に対する情熱の交歓がなければ,音…
イージー☆ライダー(原題:Easy Rider)(1969年,日本公開は1970年) 【イラスト解説】 イージー☆ライダー(原題:Easy Rider)(1969年,日本公開は1970年) 製作・脚本 ピーター・フォンダ デニス・ホッパー 監督 デニス・ホッパー 出演 ピーター・フォン…
『BLACK HAWK INFORMATION』 (年号の表示は欠落していますが,Led Zeppelinの新譜案内や「Jimi Hen,Dead!」の記事があることから1970年9月の発行と思われます) 《MIZZマスター》 「ブラックホークニュース」は,私(MIZZ=みずかみよしのり)が徹夜厭わず…
《MIZZマスター》イラストで松平氏が手に持っているアルバムは,ジャクソン・ブラウンの“Late for the Sky”です。 CSNYやイーグルスと並びウェストコーストを代表するシンガーソングライターで『ブラックホーク』でも70年代最も人気のあった(リクエストが多…
レコード室の松平氏はまるで千手観音が如き動きをする 初来店と思われる青年のリクエストや質問に答えながら 右手左手両手使いで 指先はレコード棚をササッスーッと這って 青年の言が終わらぬうちに「これですね はい!」とアルバムを差し出す このイラスト…
ジミ・ヘンドリックス 《MIZZマスター》 1970年初頭の『ブラックホーク』をご存知ない方や,少し遅れて『ブラックホーク』のファンになられた方には想像がつかないかもしれませんが,店では,レッド・ツェッペリン,グランド・ファンク・レイルロード,ジャ…
MIZZマスターの妄想1️⃣1970年頃『ブラックホーク』の前で出番を待つ デビッド・クロスビー,ジミー・ペイジ,カルロス・サンタナの各氏 《ひめちゃん》 『ブラックホーク』のメインストリームをJAZZからROCKへ変えていくことに慎重な立場だった松平さんをど…
❐『静かなるケニー Quiet Kenny』1959年の録音 ケニー・ドーハム(1924〜1972)の大人気アルバム ジャズ界の“巨星”と呼ばれるような派手派手しさはないものの,好きな人はどっぷりハマる通好みの渋さをもったトランペッター ケニー・ドーハムが,トミー・フ…
●ガボール・ザボ(1936〜1982)『スペルバインダー』ハンガリー生まれ 元祖フュージョン・ギタリストという言われ方もするが,稀代の名ギタリストの一人であることは間違いないだろう。 ジェケット画もガボール・ザボ直筆によるもの。 (MIZZマスター:この…
『ブルースエット Blues ette』1959年の録音トロンボーンの名手カーティス・フラー(1932〜2021)によるリーダー・アルバム 当時ニューヨークにある名ジャズライヴハウス「FIVE SPOT Cafe」は数々の伝説的ライヴを送り出していました。 このアルバムは,Cafe…
チャールス・ロイド(1938〜 )『フォレストフラワー』(1966年9月録音)フラワームーブメントの流れに乗って大ヒットしました。ジャズファンにとっては後々ビッグネームとなるキース・ジャレットの演奏も話題となりました。この『フォレストフラワー』は,…
MIZZマスターが閉店ガラガラ時にターンテーブルに載せていた名盤紹介 (その1) ●『ブッカー・リトル』(Booker Little)1960年4月の録音 ブッカー・リトル(1938〜1961)2作目のリーダーアルバム 1960年代初め頃から60年代後半にかけてはいくつかの名盤スト…
松平氏がデザインした『ブラックホーク』のマッチ 《ひめちゃん》 『ブラックホーク』開店当時の話に戻しますが,MIZZマスターが21歳で,松平さんが20歳頃ということになりますよね。ジャズをチョイかじりのMIZZマスターとジャズに精通する松平氏とのバラン…
『SMALL TOWN TALK—ヒューマン・ソングをたどって』松平維秋 著 ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション (2000年6月30日初版第1刷発行) ●著者略歴 1946年9月24日 神奈川県小田原市生まれ。 1965年3月,渋谷DIGで働き始める。 その後ブラック・ホークとな…
プロローグ 1960年代のこと,渋谷の道玄坂上右手に「しぶや百軒店」と書かれたアーチ型看板の門を潜り,もうひと息坂道を登った(地元古老によるとその昔”ヤマ”と呼ばれていた)狭い丘の上のわずか100メートル四方にも満たないに場所に,7軒ものジャズ喫茶が…
「酒乱団」最盛期のユニフォーム 『ブラックホーク』とサッカークラブ《酒乱団》との合縁奇縁 《酒乱団”シュランダン”》なんて,いい加減で不真面目でどこか人を食ったような響きに聞こえてしまいますが,じつはサッカーをこよなく愛するオジサンたち中心に…
オークヴィレッジ製の椅子 kaiin.hanmoto.com 長年愛され続けたオークヴィレッジ製二代目の椅子 1977年頃でしたでしょうか?! 当時『ブラックホーク』が好んでターンテーブルに載せまくっていたウェストコーストサウンドやシンガーソングライター系レコード…
『ブラックホーク』初代の椅子 とてもロックっぽかった『ブラックホーク』初代の椅子 『ブラックホーク』がジャズ喫茶の老舗『DIG新宿店』の支店『渋谷DIG』を引き継いだ1966年時点では,急な居抜き譲渡話だったこともあって,まずは店舗経営を軌道に乗せる…
曲作りの構想を練ると鈴木慶一さんと本多信介さん(MIZZ先生の妄想) ミュージシャンたちのまったりな溜まり場『ブラックホーク』 渋谷の街は,1973年に公園通り(当時は区役所通り)に渋谷PARCOが開業するまで,オジサンたちが家路につく前のひととき羽を休…
お店に現れたヒッピー風のお客様 ヒッピー文化は『ブラックホーク』でも花開いた?! 1968年あたりから『ブラックホーク』が“ロック喫茶”と言われるようになってくると,店内でリクエストされる曲も,ヒッピームーブメントの一大エポック「サマー・オブ・ラ…
道玄坂を闊歩するヒッピー風の人たち ヒッピームーブメントと『ブラックホーク』界隈の想い出 ヒッピームーブメントというのは,1960年代後半にアメリカ西海岸サンフランシスコを中心に拡がりを見せた,ヒッピーと呼ばれた若者たちによる社会変革運動のこと…
サム・ハスキンスの写真が飾られた店内 『ブラックホーク』の壁にはサム・ハスキンスの写真が飾られていました ジャズ喫茶全盛の頃は,どこもかしこも壁面の飾りは著名なジャズミュージシャンのライヴ写真と相場が決まっていました。 『ブラックホーク』もご…
常連だったスーパースターたち あのスーパースターも『ブラックホーク』の常連だったんです 『ブラックホーク』の店内は,実際にはイラストのように明るくはなく,50人で超満席となってしまう空間の照明は,畳一畳ほどの窓から差し込む光だけに頼るという心…
『ブラックホーク』のレコード室 『ブラックホーク』のレコード室 1960年代に隆盛を極めた“JAZZ喫茶”では(“名曲喫茶”なども同様ですが),その心臓部と言えるオーディオ機器の仕様にはどの店も力を入れており,覇を競う感が大いにありました。常連客もそれ…
『ブラックホーク』の入口 1970年代の『ブラックホーク』入口風景 入口ドア左手にはショーウィンドウがあって,一般の飲食店ではメニューサンプルや価格表が置かれているようなスペースに,前身の『Jazz DIG』時代からのデコレーションそのままに,骨董品の…
『SMALL TOWN TALK』 『SMALL TOWN TALK』こぼれ話 『ブラックホーク』は,決して大仰な表現でなく,まさに “全国のレコード店の皆様と共に”ありました。 『BLACK HAWK NEWS』紙のニュース記事への資料提供はもとより,新譜入庫などに関しても,“『ブラック…
『BLACK HAWK NEWS』 『BLACK HAWK NEWS』発刊 店は無事始まりはしたものの,購入できるレコード予算には限りがあり,「これからどうする?!」と頭を悩ませている時でした。 中村とうよう氏(故人,㈱ミュージック・マガジンの元取締役会長・代表取締役)や…
本場『BLACK HAWK 』での名演アルバムのいくつか 本家『BLACK HAWK』にまつわるお話 『ブラックホーク』は,1966年末に,当時ジャズ喫茶の老舗格であった『DIG新宿店』の支店『渋谷DIG』の後継店として,渋谷道玄坂百軒店の一隅に生まれ,かつてジャズミュー…
『ブラックホーク』誕生秘話 今から60年近くも前,1966年末のことです。 当時ジャズ喫茶の老舗格であった『DIG新宿店』の支店『渋谷DIG』のオーナー中平氏より,渋谷道玄坂百軒店の一隅にあった店舗を,私(MIZZ=みずかみよしのり)が居抜き売買によって購…