伝説のロック喫茶ブラックホーク昔噺

『MIZZ先生がイラストたっぷりで教える〈便秘〉からの脱出』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”がオーナーとして携わっていた渋谷道玄坂百軒店の伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします

Part2◆第4話 松平さんとの思い出❐その3

チャールス・ロイド(1938〜  )『フォレストフラワー』(1966年9月録音)
フラワームーブメントの流れに乗って大ヒットしました。ジャズファンにとっては後々ビッグネームとなるキース・ジャレットの演奏も話題となりました。
この『フォレストフラワー』は,『ブラックホーク』がジャズ喫茶でスタートした1967年に多分一番リクエストを受けたアルバムだと思います。

ひめちゃん

なるほど。とりあえず『ブラックホーク』はジャズのお店としてスタートということになったようですが,営業面はどんなもんだったでしょうか?

 

MIZZマスター

扉を開けて一歩店内に入れば,すぐのレコード室には昔と同じように松平氏が座っているのですから,そこは表看板だけ違う昔の『DIG渋谷店』のままの雰囲気です。多少の古い顧客たちは前店同様に通ってはくれてましたけど,『DIG』に惚れ込んでいた超のつく常連さんたちはすっかりいなくなってしまい,開店2~3ヶ月経過してもなお「へぇー!いつブラックホークになったの?」なんて声が聞こえてくるやらで,依然として『ブラックホーク』の名が浸透する気配はありませんでした。

そんな苦境のおりでも松平氏は,「このお店にしかない名盤を聴きたいという人や渋谷の街が好きな人たちは,続けて来てくれてますよ」と前向き発言をよくしてくれていました。まぁ,今にして思えば,私への気遣いだったのだと思いますけど。

 

ひめちゃん

たしかに,その頃から「ジャズ喫茶でジャズを聴く」ブームは下火になっていき,”ジャズ喫茶”の閉店が相次ぐようになったようですね。マイルスは元気にアルバムを出し続けていましたが,1967年7月にはジャズの巨人と言われたコルトレーンが亡くなりましたね。

 

MIZZマスター

百軒店周辺でも『ブルーノート』とか『オスカー』が続けて閉店しました。この頃(1968年頃)になると,ロックのエッセンスを融合させた音楽を指向し始める流れに加え,サックス奏者のチャールズ・ロイドらによるアメリカ西海岸のフラワームーブメントに便乗したサイケデリック・ミュージックがサイケファッションと共に日本に移入されるようになりました。「Forest Flower」が大ヒットしたのもその頃ですね。

Blood Sweat & Tearsやシカゴといった,当時は,ジャズでもロックでもないなんて言われていたグループのアルバムも一気にレコード店に並び始めました。ビートルズの名盤「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」は1967年のリリースですし,ドアーズのファースト・アルバムのリリースも同時期ですね。そんなわけで,トム・スコットの「ヘアー」とかビートルズの曲をアレンジしたジャズミュージシャンたちのアルバムなどもどんどん入ってくるようになったのです。

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