伝説のロック喫茶ブラックホーク昔噺

『MIZZ先生がイラストたっぷりで教える〈便秘〉からの脱出』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”がオーナーとして携わっていた渋谷道玄坂百軒店の伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします

Part2◆第1話 松平さんとの思い出❐その1

『SMALL TOWN TALK—ヒューマン・ソングをたどって』松平維秋 著
ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション
(2000年6月30日初版第1刷発行)

●著者略歴

1946年9月24日 神奈川県小田原市生まれ。

1965年3月,渋谷DIGで働き始める。

その後ブラック・ホークとなったこの店で,DJとして,英米シンガー・ソングライター,南部ロック,カントリー・ロック,ブリティッシュ・フォークなど,ヒューマンな香りのする多くの良質なレコードを紹介する。

1977年7月,ブラック・ホークを辞職。以降,編集者,フリーランス・ライターとして活動。

1999年10月15日,川崎市にて逝去。享年53。

(著者紹介より)

ひめちゃん

日本最古のジャズ喫茶は,1933年(昭和8年)開業の横浜『ちぐさ』だと言われていますが,1961年のアート・ブレイキーの初来日を機に,都内でも新宿・渋谷・神田辺りに多くのジャズ喫茶が出現し,一気にブーム到来ということになるわけです。

そんな時代背景の中で,当時の有名店だった『新宿DIG』の渋谷支店を買い取ることになるんですね?

 

MIZZマスター 

はい,1966年の秋,私が大学2年生の時です。

 

ひめちゃん

最初にお聞きしたいのは,以降『ブラックホーク』のキーマンとなっていく松平維秋さんとの関係がどんな感じで始まったのかということなんですが,そのあたりいかがでしょうか?

 

MIZZマスター

当初は店舗物件の譲渡のみという契約内容だったのですが,いつしか「今までのスタッフも残ってくれれば彼らも失業せずに済むし,顧客とのつながりも引き継げてよろしいんでは…」といった話に変わっていきまして,レコード係の松平氏バーテンダーのA君(当時18歳ぐらい?),ウェイトレスのSさんの3名が引き続き残ることになったのです。ただ,松平氏以外の二人は,“ジャズDIG”の看板に強いこだわりがあったようで,新参者の『ブラックホーク』はどうにも意に沿わなかったらしくひと月から三月ほどで退職していきました。

 

ひめちゃん

松平さんだけがそのまま残られたんですね。その後じつに10年余りもMIZZマスターとの濃密な関係が続くことになります。

 

MIZZマスター

松平氏は私より1つ歳下の1946年生まれで,都立駒場高校の出身なのですが,彼の2年先輩に,後に日本を代表するイラストレーター,グラフィックデザイナー,装丁家となる矢吹申彦さん(1944~2022)が在籍していたのです。高校在学中からお互いにジャズを愛好し,芸術家?を志望していた縁もあってか,親交を深めていったようです。

 後年松平氏には『ブラックホーク』のマッチの絵柄を描いてもらったり,音楽雑誌への広告デザインを作成してもらったりしたのですが,それも矢吹氏との交流によって培った才能の現れだったように思います。

 

ひめちゃん

いずれも一時代を築いた人気イラストレーターだった湯村輝彦さん(1942~  ),河村要助さん(1944~2019),と矢吹さんの御三方はよく『ブラックホーク』に来店されていたという話を聞いたことがあります。

 

MIZZマスター

はい。松平氏は,矢吹さんを通じて他の2人とも親交があったようで,日常会話の中でこの3人の名前はよく登場していました。

 河村さんは,”ジャズ喫茶”の時代は来店されてなかったと思いますが,“ロック喫茶”の時代になるとよくお見えになっていて,レゲエやサルサのことをさりげなく話されていましたね。

 

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